2005年5月14日
新緑と石楠花が満開の
高野山に登りました



KA氏とのかねてからの懸案であった高野山ポタを決行することになりました。
懸案であったかというと疑わしところもありますが、週末の予定が空いたため、「高野山
どう?」という私の軽はずみな一言がきっかけで、現実のものとなってしまいました。

今回は、距離的には往復100kmで、ちょくちょく走っている距離で問題はありませんが、
なにせ標高900mまで一気に登らなくてはなりません。
道路は舗装路ですが、観光客用の一般道ではなく地元の林業用につくられたような道で
かなりの勾配があります。

ポタリング日記にも掲示してるように、去年の秋に行った高野山は、美里町の毛原宮か
らでしたが、今回は貴志川からです。いつもは自宅の和歌山市内から自転車でやってく
るKA氏も、今回ははめずらしく車でやってきました。

5時30分に貴志川を出発し、死闘の末、ようやく10時過ぎに高野山の大門に到着。走行
距離50km、4時間半の格闘でした。

高野山では、満開の石楠花(しゃくなげ)の花を見た後、国道371号線(国道とは言って
も林道に毛の生えたものですが)を丹生川沿いに下り、途中県道に入り、やはり丹生川
沿いに九度山町に下りてきました。

九度山町で、アルコール燃料を補給し、紀ノ川南岸の県道を向かい風との格闘の末、16
時にようやく貴志川に着。

本日の走行距離110kmでした。距離よりも非常にハードなポタでした。




<ここで使用している写真は携帯電話D505isで撮ったものです>


朝日です。
日の出が早くなったとはいえ5時30分といえばお日様がのぼってすぐの時間です。
ちなみに目覚まし時計がなった4時30分は真っ暗でした。


美里町毛原宮。
去年来たときは紅葉の時期で、ここからの出発でした。
すでにふとももがはってきてます。

美里町毛原宮。
いつものポーズきめるKA氏。


美里町長谷宮。

かつらぎ町新城。
新城で国道370号線から林道に入ります。
この看板が目印。



かつらぎ町新城。
林道への入口、写真の左に見えている道です。

湯子川の滝。(写真左、上)
新城から林道に入りしばらくのところです。
写真右側に写っている展望台に上がれるは3人までとの
注意書きがありました。



林道の道端には、この花がたくさん咲いていました。
家内によると野生ランの一種ではとのこと?

ハードな登りに苦しんでいる私たちを、やさしく見守ってくれているのか、それとも嘲笑っているのか?


登りがまだまだ続き、またまた休憩。
登り愛好家のKA氏もさすがにきているようです。
でも元気(そう)にいつものポーズをきめるKA氏。

去年来たときは、押しを入れていた所です。
今回は、フリーホイールを交換したこともあって押し
なしでの走破ですが、とにかくきつかった。


見渡す限り山、山、山。(写真左)

参考までに、新城の交差点には自動販売機があります
が、そこから高野山の大門までは何もありません。

ようやく高野山の入口の大門に到着。


「高野山の入口、一山の総門である大門。開創当時は現在の地より少し下った九十九折谷に鳥居を建て、総門としていました。山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年の再建。五間三戸の二階二層門で、高さは41.8メートル。晴天の日はここから遠く淡路島が展望できます。(重要文化財)」

     
どこでもそうですが、仁王様のお顔はこわいです。
ここのベンチで昼食。今日のメニューは胡麻豆腐の香り
弁当?



壇上伽藍の金堂と大塔。


「伽藍は、密教教理に従い金胎両部の根本大塔と西塔の二基の塔が中心であり、総本山金剛峯寺の根本道場です。  境内には、大塔・金堂・六角経蔵・御社・山王院・西塔・准胝堂・孔雀堂・御影堂・不動堂・愛染堂・大会堂・東塔が建立されており、曼荼羅世界そのものといえます。」

「金堂は高野山御開創当時は講堂と呼ばれていた。平安時代半ばから一山の総本堂として重要な役割を果たしてきている。 現在の建物は7度目の再建で昭和7年(1932)に完成。梁間23.80メートル、桁行30.00メートル、高さ23.73メートル、入母屋造、本尊は高村光雲作の薬師如来(阿?如来一秘仏)が奉安されている。 内部の壁画は木村武山画伯の筆になる。」

「大塔は弘法大師は高野山開創に当り、この大塔を真言密教の根本道場として建立されたので根本大塔という。多宝塔としては日本で最初のものである。 胎蔵界の大日如来と金剛界の四仏が祀られる。現在の大塔は昭和十二年(1937)に完成を見たもので、高さ約48.5メートル、約23.5メートル四面の偉容を誇る。この中は大日如来の浄土であり、この中に参ると仏と結縁出来ると信じている。 」

     
壇上伽藍の西塔。


「伽藍の西北の隅にあり、真然大徳が光孝天皇の勅に
より、仁和2年(886)に大師のしたためられた『御図記』
にもとづいて建立された五間四面、高さ27.27メートルの
多宝塔で本尊は金剛界大日と胎蔵界四仏の五仏が奉安
されている。 現在の建物は、天保5年(1834)に再建され
た。大塔と一対をなるものである。14.20メートル四面、
擬宝珠高欄付多宝塔。」

壇上伽藍の御影堂。


「伝説の「三鈷の松」を前にして建つ五間四面、宝形造りのお堂である。もと大師の持仏堂であったが、後に大師御影堂を祀り、今の名になった。 真如親王が描かれた大師御影を奉安し、堂内の外陣には十大弟子の肖像が大師の御影を守護するかのようにかかげられている。現在の建物は天保14年(1843)炎上後、弘化4年(1847)再建されたものである。桁行15.10メートル、梁間15.10メートル、向拝付宝形造。 」


霊宝館前の石楠花。


「霊宝館は、高野山真言宗総本山金剛峯寺をはじめ、
一山の塔中寺院の貴重な仏像・仏画をはじめとした
文化遺産を保存管理し、一般にも公開する目的で大正
10年(西暦1921年)に開館した博物館相当施設です。」

金剛峰寺の門。
紅葉の季節もいいでしょう。


金剛峰寺の石楠花。
門を入ってすぐ左手にあります。

金剛峯寺(写真左)

「一山の総称でもある金剛峯寺の建物は、以前は「青厳
寺」と呼ばれ、太閤秀吉公が御母堂の菩提のために、
当時の座主(金剛峯寺の住職)應其上人に命じて建立
させたものでした。その後、明治に入り青厳寺の名を他
に移し、金剛峯寺と呼ばれるようになりました。(和歌山
県重要文化財)」

天然記念物に指定されている金剛三昧院の大石楠花。

ここで大阪からこの石楠花を見るため、ご夫婦で自転車(途中まで車だそうですが)で来たというおばさんに遭遇。
立派なお召し物、バイク(GIANTのマウンテン)でした。
年齢は?????


金剛三昧院の石楠花と多宝塔。


「貞応2(1223)、源頼朝、実朝両公菩提のため、政子
が覚智入道に命じて建立したのが、この多宝塔です。
元仁2年(1225)10月13日、入仏供養の際、栄西禅師
が導師となり、北条時房が二位禅尼の代参として法廷に
臨んだと伝えられています。」


高野山山頂付近から奈良方面を望む。
高野山より高い山々が幾重にも連なっています。
ここから一気に九度山町まで下ります。
道路は国道371号線で、林道に毛の生えたようなものですが、車がそこそこ通るうえに、路面が荒れているため、あまりスピードは出せません。

丹生の滝。
丹生川沿いの道のすぐ脇にあります。

丹生川の渓谷。
この渓谷に沿って気持ちのいい道が続きます。
国道371号線から県道に入ったあたりから玉川峡と呼ばれていて、キャンプ場もあります。


丹生川の渓谷。
水がきれいなのはこの写真でもわかるかと思います。
夏休みや紅葉の時期には、たくさんの人でにぎやか
なんでしょうが、車が対向できる場所は限られている
ような道路です。



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