2005年04月30日 |
熊野三山1泊ポタリング(2日目) |
2日目は、朝6時に出発。
今日も快晴、暑くなりそうですが、この時間はまだ風は冷たく心地よいです。
昨晩お世話になったKA氏のバンデリンが効いたようで、太もももひざも大丈夫です。
熊野三山の最後、那智大社を目指します。
那智大社への道は、かなり厳しいものと予想していたこともあってか、意外とスムーズに
登ることができました。自転車を降りてから社殿までの階段がきつかった。
その後、海岸沿いの国道42号線を串本まで走り、潮岬も回って、今日は楽勝やなと言っ
ていたら、残っていました。大島への橋を渡った後の登り坂。たとえて言うなら回転寿司で
腹いっぱい食べた後の牛丼大盛りって感じ。
知ってか知らずでか、こんなコースをご用意してくれたMAおじさんには大感謝。
予定通り熊野三山に詣で、無事走破できたことを、神様仏様に感謝。
<ここで使用している写真は携帯電話D505isで撮ったものです>
早朝のコンビニで我々と同じようなチャリダーに遭遇。 (前輪だけですが) オートバイのツーリングばかりで、チャリダーは少なかっ たです。 |
今回の最大の難所(のハズだった)那智大社への 上り坂を前にして精神統一をするMA氏。 |
<上>大門坂への熊野古道の入口。 <右>大門坂入口の夫婦杉。 |
|
自転車を降りても、登り坂を見ると元気なKAおじさん。 |
大門坂、こんな石段が続いています。 |
元気そうなポーズをとるMAおじさんですが、。 自転車を降りると急に元気が無くなります。 見えにくいですが、左手には杖を持っています。 |
九十九王子最後の王子後です。 |
ようやく那智の滝が見えてきました。 予想に反して、ここの上り坂はきつくはなかったです。 |
那智大社の鳥居です。 |
やはり、登り坂が大好きなKAおじさん。 すでに登りきっています。 ちなみに、MAおじさんはまだ後ろです。 |
熊野那智大社の社殿。 |
那智大社のすぐ隣にある青岸渡寺、西国三十三所 巡りの一番の札所です。 この本堂は天正18年(1590年)豊臣秀吉により建 立されたものじゃ。 |
お決まりのアングル、那智の滝と青岸渡寺の三重塔。 |
鯨の町、太地町。 |
|
那智と串本間の国道42号線もアップダウンがほとんど なく、街中を除けば路肩が広く走りやすい道です。 |
串本の橋杭岩。 観光客でいっぱいです。 |
撮影活動に励むKAおじさん。 |
橋杭岩の撮影ポイント。駐車場のすぐ近くですが空いて います。 |
まだ小さいですが潮岬の灯台が見えます。 |
潮岬の灯台。 入館料が要るため、当然のことながらここまでです。 |
本州最南端、潮岬です。 少しかすんでいますが、オーストラリアが見えていま す!? |
本州最南端の地、潮岬の先端に広がる約10万uの 大芝生。その昔、海軍の望楼(物見櫓)があったところ じゃそうな。 |
トルコ国との友好の証としてトルコ軍艦遭難慰霊碑 の近くに建設された記念館。館内には遭難した エルトゥールル号の模型や遺品、写真などが展示 されており、遭難事故当時の様子を知ることができ るそうじゃ。 ワールドカップを思い出すのう。 |
昔々(1890年(明治23年)9月16日)、あるとこ ろ(大島樫野崎の沖合)でトルコ軍艦エルトゥールル 号が嵐の中遭難し、乗組員656名のうち587名が 還らぬ人となったそうじゃ。 異国の海に散った将士たちの霊を慰めるために 建設されたこの慰霊碑では、今も5年ごとに追悼 式典が行われておるそうじゃ。また串本の姉妹都市 であるトルコのメルシン市にも同じ碑が建てられて おるそうじゃ。 |
大島の東端にある樫野崎灯台。 無料で入れます。 |
MAおじさんのこの喜びようは、ここに来るまで何か つらいことがあったのでしょうか? |
樫野崎灯台より東の方を望む。 かすんで見えているのが太地方面。 |
2日間の予定を無事走破し、ご満悦のおじさんたち。 |